LOGIN鳴海すばるは、推しの“良さ”が世間へ見つかる瞬間が好きだ。
いや、好きというより、どうしようもなく弱い。 自分だけが知っているわけではない。 最初から人気だし、天瀬アルトが王子様枠として強いことくらい、ファンなら誰でも知っている。 でも、それでも時々あるのだ。 普段から見ている人間には当たり前すぎるやさしさとか、 距離感の上手さとか、 変に前へ出ずに空気を整えるところとか、 そういう“アルトの本質みたいな部分”が、ふとした一場面で広く見つかってしまう瞬間が。 そういう時のオタクは弱い。 かなり弱い。 そして今、すばるはまさにその状態だった。「……無理なんだけど」 昼休み、自分の机に突っ伏しかけながら小さく呟く。 スマホの画面には、昨夜のAstraLink大型鳴海すばるは、推しの“良さ”が世間へ見つかる瞬間が好きだ。 いや、好きというより、どうしようもなく弱い。 自分だけが知っているわけではない。 最初から人気だし、天瀬アルトが王子様枠として強いことくらい、ファンなら誰でも知っている。 でも、それでも時々あるのだ。 普段から見ている人間には当たり前すぎるやさしさとか、 距離感の上手さとか、 変に前へ出ずに空気を整えるところとか、 そういう“アルトの本質みたいな部分”が、ふとした一場面で広く見つかってしまう瞬間が。 そういう時のオタクは弱い。 かなり弱い。 そして今、すばるはまさにその状態だった。「……無理なんだけど」 昼休み、自分の机に突っ伏しかけながら小さく呟く。 スマホの画面には、昨夜のAstraLink大型企画関連で流れてきた短いレポまとめや切り抜き未満の感想投稿が並んでいた。 正式な配信ではない。 打ち合わせの内容がそのまま出回ったわけでもない。 でも、新人参加者の一人が軽く触れた「先輩がフォローしてくれて助かった」みたいな感想や、関係者側のふわっとした匂わせで、ファンの間に“またアルトが後輩へ自然に優しかったらしい”空気が広がり始めている。 それだけで、もうだめだった。 絶対そういうことする。 天瀬アルトは、そういうことをする。 しかもわざとらしくなく。 恩着せがましくなく。 後輩が自分で立てるように、一段だけ空気を下げるやつ。「はー……ほんと好き……」 小さく言ってから、すぐ顔を上げる。 学校だ。 今は教室だ。 いくら心の中がオタク全開でも、今ここで机に突っ伏して昇天するわけには
天瀬アルトとしてログインする直前、久瀬湊人は珍しく五秒ほど何も押せずにいた。 パソコンの画面には、AstraLink大型企画の事前打ち合わせ用ルーム。 参加者一覧。 接続テストの案内。 進行スタッフのメッセージ。 そして、参加ライバーの名前。 その中に、今日いちばん意識せざるを得ない名前がある。 小鳥遊絃葉 同事務所所属。 登録者数二十万前後の新人。 まだ現場で直接会ったことはない。 だが、学校ではすでに二度ほど短く話している。 そこが問題だった。 もし完全に知らない後輩なら、まだ楽だ。 天瀬アルトとして、普段通り落ち着いて接すればいい。 でも今の相手は違う。 学校での“久瀬湊人”を、すでに少しだけ認識している相手だ。 学校では静かな男子。 配信側では王子様系の先輩ライバー。 その二つを同じ相手へ同時に隠し通しながら接しなければならない。 「……ほんとに、勘弁してくれ」 小さく呟いて、湊人はようやく接続ボタンを押した。 画面の中で、事務所のロゴが一瞬表示される。 ヘッドセット越しに、接続音。 スタッフの事務的な声。 他ライバーたちの軽い挨拶。 ここから先は、もう天瀬アルトだ。 久瀬湊人の迷いも、学校帰りの地味な空気も、一度脇へ置くしかない。 「お疲れさまです、天瀬です」 声を出した瞬間、自分でも少しだけほっとする。 やはり、入ってしまえば切り替わる。 それが長年積み上げた癖でもあり、ある意味では武器でもある。 問題は、このあとだ。 ◇ 打ち合わせルームには、すでに何人か先輩ライバーが入っていた。 中堅組の軽い雑談。 スタッフの進行確認。 マイクチェック。 回線テスト。
御門朱莉は、秘密そのものより、秘密が増えた時の疲れ方に興味があった。 人は一つのことを隠している時と、二つ以上を同時に隠している時とで、明らかに呼吸が変わる。 一つだけなら、まだ軸がある。 どこに気を張ればいいのか、 何を守ればいいのか、 本人の中でも線引きが比較的はっきりしている。 でも、秘密が複数になると違う。 気を張る方向が増える。 それぞれの線が微妙に重なって、本人の中でも優先順位が揺れ始める。 結果として、“一見落ち着いているのに、目の奥だけが忙しい人”が出来上がる。 そして最近の久瀬湊人は、まさにそれだった。 家側の問題で削られていた時期の彼は、もっと分かりやすかった。 張っていて、 少し尖っていて、 何か一つの大きなものへ耐えている顔をしていた。 今は違う。 家側の件は、前より少しだけ整理された。 それでも疲れている。 しかも、前と違う種類の疲れで。 時間に削られている顔。 スケジュールに押されている顔。 そのくせ、学校では地味な転校生の顔を崩さないようにしている。 そこまで来ると、朱莉の中では答えはかなり出ていた。「……一つじゃないのよね」 昼休み、渡り廊下の窓から中庭を見下ろしながら、小さく呟く。 家柄か、政治か、財界か、そのあたりに近い何か。 それが一つ。 そしてたぶん、もう一つ別の“外の顔”がある。 しかも、そのもう一つは家側とは違って、もっと日々の時間に食い込む種類のものだ。 久瀬湊人が抱えている秘密は、一つではない。 少なくとも朱莉には、もうそこだけはほとんど確信に近かった。 ◇ 金曜の
倉科紬希は、知らないことが増えるほど、逆に見る場所が絞られていくタイプだった。 普通はたぶん逆なのだと思う。 事情が見えない時ほど、理由を知りたくなる。 何があったのか、 誰が関わっているのか、 どうしてそんな顔をしているのか。 そういう“中身”へ目が向くのが自然だ。 でも、紬希は少し違った。 知らないことが増えると、その分だけ今見えているものへ意識が寄る。 顔色。 目の下の薄い影。 返事の半拍。 笑ったあとの息の吐き方。 そういう、説明より先に表へ出てしまう部分。 久瀬湊人のことになると、最近は特にそうだった。 家側の問題が近づいていた時は、張っている感じがあった。 気を抜くと何かが崩れそうで、でも崩さないように自分で自分を支えている、あの少し危うい感じ。 今は違う。 配信側の大型企画という、新しい事情が近づいてからは、もっと“時間に削られる人”の顔をするようになった。 緊張で固くなるのではない。 予定に追われて、休む場所が薄くなって、でも学校ではいつも通りに見せようとしている人の顔。 それを見てしまうと、紬希はもう“何があるのか”より先に、“今日しんどいのかどうか”だけを気にするようになっていた。 その変化は、自分でも少しだけ不思議だった。 でも、嫌ではなかった。 ◇ 金曜の朝、教室へ入った時点で、紬希にはもう分かっていた。 久瀬は今日も、少しだけ疲れている。 ひどくはない。 限界というほどでもない。 でも、きちんと見ていれば分かる程度には、昨日までの疲れが残っている。 おそらく、夜にも何かしら企画関連のやりとりがあったのだろう。
大型企画が本当に厄介なのは、内容そのものより、時間の食い方だと久瀬湊人は思う。 目立つ収録があるとか、 誰かと会うとか、 そういう派手な部分はまだいい。 問題はその前後にある。 事前確認。 移動。 機材テスト。 打ち合わせ。 待機。 押した時間の調整。 終わったあとに必ず発生する追加の確認。 そういう、表には出ない細かい時間が、学校生活の隙間へじわじわ入り込んでくるのだ。 しかも、今度のAstraLink大型リアル企画は、それがかなり露骨だった。 平日夕方の拘束。 休日の半日以上の確保。 現地入り時刻の厳守。 個別動線の確認。 参加ライバーごとの準備差分。 企画書の見た目は綺麗だ。 派手で、夢があって、ファンには楽しい。 でも実務として読むと、学校へ通っている人間にはかなり厳しい。「……これ、どうやって普通に通うんだよ」 金曜の夜、自室でスケジュール表を見下ろしながら、湊人は小さく呟いた。 家側の問題が一段整理されたと思った直後だ。 ようやく学校生活への干渉を減らす方向へ舵が切られた。 窓際の空気も、少しずつ静けさを取り戻し始めた。 そこへ来て、今度は配信側が現実へ食い込んでくる。 理不尽だと思う。 でも理不尽さを嘆いても、スケジュールは減らない。 スマホのカレンダーを開く。 学校の予定。 小テスト。 提出日。 クラスの小さな行事。 そして、AstraLink側の事前収録候補日。 重なる。 微妙に。 だが、その“微妙”が一番厄介だ。 丸一日休むわけではない。 でも、平日の放
小鳥遊絃葉は、その夜まったく眠れなかった。 正確には、眠ったり起きたりを繰り返していた。 目を閉じる。 少しだけ意識が落ちる。 でもすぐに、頭の中で同じ言葉がまた点灯する。 大型企画、事前打ち合わせ。 天瀬アルト参加。 一部参加メンバーは接続確認あり。 ただそれだけの文面なのに、絃葉の心拍には十分すぎた。「……無理……」 深夜、自室のベッドの上で小さく呟く。 声に出したところで状況は何も変わらない。 でも、出さないと胸の中が落ち着かなかった。 天瀬アルト。 同じ箱の先輩。 AstraLinkの中でも、数字も人気も空気も、何もかも一段高い場所にいる人。 もちろん、表向きには何度か同じ会議に名前が並んだことはある。 全体連絡のボイスチャットで、一緒の部屋にいたことだってある。 でも、それは“同じ回線の向こうにいた”だけだ。 今回の大型企画は違う。 事前打ち合わせがある。 現場もある。 つまり、これまでよりずっと“近い距離”で同じ空気を吸う可能性がある。 しかも自分は新人だ。 まだ登録者二十万人。 事務所の期待に応えたい気持ちはある。 でも、それ以上に失敗したくない。 先輩の足を引っ張りたくない。 変な緊張の仕方をして、空気を壊したくない。 アルトの前で「うわ、本当にいる」みたいな反応をして、ただの痛い後輩にもなりたくない。 理想は、ちゃんとした後輩だ。 礼儀正しく、 でも固くなりすぎず、 必要な時に必要な返しができる、 そういう人。 だが現実の自分は、たぶんかなり固まる。「どうしよう&







